秋本番、柿の食し方論争。

秋本番の11月。
食欲の秋、読書の秋、芸術の秋・・・秋はなにかと忙しい。
おとなり、おフランスのボジョレー・ヌーボーの解禁も待ち遠しい。
レストランでもカフェでも芋栗南瓜の秋のメニューが、行進しているように並んでいる。
確かにこれらは秋の味覚で、もれなく私も大好物の旬である。
しかーし。
私がこの時期、というより秋に必ず食すのは、『柿』を使ったレシピ。
特に柿に思い出があるわけでもなく、特別な思いがあるわけではないのだけれど、
旬を味わうつくすために皮を剥いてそのままいただくだけれは物足りない身体にすっかりなってしまっている。
秋の夜長を過ごす愛しい人たちとの宴に、ちょっとした驚きとドキドキ感を提供したい、そんな風に思うのだ。
食してしまえば消えてしまう“食”を、思い出に変えていくのも私の大事な役割だと思っている。

そういえば、柿を題材にエッセイを書こうと思った時に、思い出したことがある。
母と父の柿の食し方論争だ。
言ってしまえば、ピッチピチを食したい父と、熟しに熟して腐る手前で食したい母。
夫婦のここは譲れないところであり、父のフルーツと母のフルーツを買う。
もちろん共通の食し方があるフルーツに関しては、そんな面白いことはしないのだが、その代表のひとつに柿があった。
一貫して父はピッチピチ派なので、「食すにしてもまだ固い!」という母にいいから食べさせろと皮を剥かせ口に運ぶ。
そんな父の姿を、一番美味しい時を味わないのは罪だわと母は言う。
確かにかっくんとアゴが動く柿は固そうと、子ども心に思っていたけれど、ちゃんと私の柿も用意され、
父と一緒にかっくんとアゴを動かせして柿を食した。
母?間違っても食さなかった。
そんな母が嬉々として柿を口に運ぶ時がやってきた。
父から遅れること1週間余り、それは冷凍庫に入っている。
冷凍庫に入れないと持てなくなるほど熟した柿、皮がないと実が解け出そうになった柿。
それをそろそろとお皿に移し皮を剥かれた柿は、シャーベットのようになっている。
その柿にブランデーをたっぷりかけて食す母。
たまらない顔をしている母と、それを信じられないという顔で母をみつめる父。
もちろんちゃんと私も柿も用意され、母といっしょにシャーベットのような柿にブランデーをかけてもらって食す。

こうやって、私は柿の食し方に関してはバイリンガルになった。
そして、父が好きな柿の食し方も、母が好きな柿の食し方も、私は甲乙付け難く、
どちらの柿も大好きな私はそこだけ親孝行な娘だと思っている。
ピッチピチから熟しきった柿の味を知ったがゆえかどうかは定かではないけれど、私は柿をパスタやリゾット、サラダにすることを思いついた。
フルーティーで、少しの酸味と甘味、そして秋の食材独特の深みはそれらによく合って、とても思い出に残るレシピになった。
まさか、私が大人になって、柿をパスタやリゾットやサラダにしているとは努々思っていない両親に、
私は未だ柿のレシピを作ったことがない。

前略、お父様、お母様、ピッチピチよりもじゅくじゅくよりも柿の実力ここに極めたりって感じです・・・。
-----------------------------------------------------
【柿と生ハムのタリアタッレ】


 タリアタッレ … 180g

 柿(完熟) … 大2個
 生ハム … 4枚
 バター … 20g
 オリーブオイル … 小さじ1
 にんにく … 1片
 白ワイン … 大さじ1
 塩/胡椒 … 適宜

 スイートバジル … 4枚

 <作り方>
 1.柿の皮を剥き、1コと半分をフードプロセッサーでペースト状にし、残りを櫛形に4等分しておく。
 2.鍋にバターとオリーブオイルを熱し、みじん切りにしたにんにくを炒め香りが立ったら
   柿のペーストをいれ、馴染ませたら白ワインを入れアルコールを飛ばす。
 3.タリアタッレを茹で、2の鍋にゆで汁お玉1杯分といれあおりながら、塩胡椒をする。
 4.器に盛り、適当な大きさにカットした生ハムをちらし、スイートバジルで彩る。
ボナペティート!!!!! 

ROMAKO の紹介

エッセイスト/料理研究家/フードアナリスト/Jr.オイスターマイスター <発売中>エッセイ&レシピ『食感シーソー』ROMAKO著/文芸社/1,470円(税込) 『食べることは生きること』という信念を持って、イベント目線で日々の食をエッセイで綴る、簡単で食材の組み合わせに驚きのあるレシピを、ベル・グストの食材を使って提案します。
This entry was posted in Cooking, Essay(いろいろと), Pasta and item: . Bookmark the permalink.

コメントは停止中です。