とにかく、2011年は一生忘れないだろう。
日本は哀しい出来事が大き過ぎて、年の瀬だと笑いながら暮れていいのだろうかと言う気分になっている。
それでも、年中行事を覚えてしまった身体は忘年会や大掃除や、門松やお餅、おせちにお飾りと、計ったように動いている。
良いお年をと挨拶がすっかり板につく12月だ。
グストグストにもよいお年をという時が来たみたいだ。
オリーブオイルの恩恵を受けている私は、大掃除の間中、オリーブオイルで手をケアする。
以前の記事にも記したけれど、オリーブオイルを塗ってゴム手袋を薄手厚手として熱いお湯でいろんなものを洗うのだ。
実家に居た頃は、年度末の家族全員でする大掃除はほっこり心温まるのに、深々と冷えた12月の気温が寒くて冷たくて、
身体だけじゃなく心までかじかんで、嫌で嫌で仕方なかった。
オリーブオイルのゴム手袋をして大掃除は苦にならないわよと母に教えたけれど、
掃除した気がしないだの、かえって面倒だの、ちっとも言うことを聞かない母は、
相変わらず手をかじかませ大掃除をしていることだろう。
そして言っているはずだ。
「冷たいわ。」「痛いわ。」「かじかんで動かないわ。」
だから教えてるでしょと言いたいけれど、堂々と巡っちゃうんだな。
ただし、手をかじかませて終わる大掃除も、オリーブオイルでケアしながら終わる大掃除も、
やはり、肉体を使った労働のあとの1杯の喉越しの味わいは絶頂で、
この1杯を味わえる自分でよかったと思いながら、この窓ガラスの拭き掃除が終わったら、
この換気扇磨きが終わったらと、妄想に次ぐ妄想をしながら一心不乱に掃除をする。
そして、意外に大掃除の爽快感に浸ってたりするから、私って現金だと思う。
そんなカウントダウンの12月最後の週を、今年も過ごしている、怒号の2011年だったと思いながら。
毎朝ジョギングをしながら聞くラジオの中で、同じ時間の同じコーナーで島地勝彦氏のエッセイが朗読されていた。
タイトルは「2011年を振り返って」。
ある自衛隊員との交流に乗せて、東日本大震災から感じた希望と悔しさにまつわるエッセイだった。
リスナーからのメッセージも、311に関することが多く寄せられ、私自身どうしても想いは311の震災へと向かってしまう。
あの日からの自分を振り返り、リスナーが勇気づけられた1曲、慰められた1曲が流れる度に目頭が熱くなる。
その時に流れて来た“ROLLING IN THE DEEP(LIVE)/ADELE“、観客と一体になったそのライブは、
今私たちがひとつになって、本当の意味で復興を成さねば成らないのではないかと私の心を大きく揺さぶった。
2011年が暮れる時は、新たに私が成すべく事を考えるカウントダウンが始まったのだと思う。
稲を考えるときは1年先を考えろ、木を考えるときは10年先を考えろ、人を考えるときは100年先を考えろという教えがある。
革新だけではなく、古史の一端になる2011年を知り続ける2012年にしたいと結ぶ。
その前に、*チェノーネ(CENONE)!!!!!
*イタリアの大晦日に大晩餐で新年を祝う風習のこと。
メインの金運アップ祈願が込められた「ザンポーネ(豚足の詰め物とレンズ豆)」を頬張らなくてはっ。
そして午前0時、スプマンテを開け除夜の鐘を聞く。
なぜなら、私のアパートの3軒隣はお寺なのだ。
明けましておめでとうございますをみなさまと。