イタリアワイン三千年

11月 19th, 2012

ASTIスプマンテセミナーに行ってきました。

昨年につづき2回目となる”イタリアワイン三千年”の催し。イタリアワインの日本への啓発と普及をめざして、イタリア貿易振興会のコーディネートで、生産者や原産地保護団体などが一か月にわたってプロモーション活動を展開している。

アスティスプマンテセミナーもその一環として行われた。会場はイタリア大使館・大使官邸。普段、およそ訪れることのない場所での開催に、わくわく、キンチョウ、相なかばする。

セミナーは原産地保護団体の代表によるレクチュアを聞きながらのテイスティングというかたちで進んだ。ピエモンテ州アスティのワインといえば、甘口の白、それも味も価格もそこそこ、といったイメージがあった。世界的な消費の拡大で、一時は粗悪品の流通がブランドイメージを低下させた時代もあったという。その後、保護団体や生産者の努力で、白ワイン、とりわけスプマンテならアスティという評価の回復につながった。

今回のテイスティングのテーブルには、発泡ワインの「アスティスプマンテ」6種、微発泡の白ワイン「モスカート ダスティ」2種の計8種、どちらもD.O.C.G認定の高評価ワイン。それぞれ個性的な味わい、飲み口を有しているが、やはり好みは分かれそう。なかでも、適度な発泡度合とキリッと引き締まった飲み口、甘さが邪魔にならないタイプに好感がもたれた。

はじめて知ったことだが、この2種類のブランドワイン、とちらも”モスカート・ビアンコ”という単一種からつくられているということだった。アペリティーヴォにスプマンテ、食後にはモスカートダスティ、すみわけはこういったところか。

お正月にイタリア、なぜ似合う?

1月 11th, 2011

いつも年明けに感ずることだが、この時期やたらとイタリアもののテレビ番組が多い。とりわけ今年はNHKがハイビジョン放送をベースにイタリア月間と題して、さまざまなプログラムを組んでいる。イタリア好きにはたまらないのだが・・・。

なぜ?と考えて、なるほどと思った。さまざまな都市国家がせめぎあっていたイタリア半島が、周辺国との係争をも背景とした、リソルジメントと呼ばれる統一運動によって統一国家としてのイタリアが誕生した。今年はその1861年から数えて150年の節目にあたる年、イタリアがとりわけ際立つ理由に納得した。

かつて、ゲーテがイタリア紀行に記したように、冷たくそして威厳に満ちた北ヨーロッパの国々からみれば、イタリアは絢爛たる芸術や文化が咲き誇り、燦燦たる陽光のもとに人々が人生を謳歌する理想の地であった。そして、いまもそれら大半の遺産を継承するイタリアは、たしかに憧れや羨望を生んで止まない希望の地なのかもしれない。

あらためて想う。多くの人々にとって新年の幕開けは、晴れがましく、希望への予感に満ちたものなのだろう。そんな想いがイタリアへの憧憬にダブるのかもしれない。正月にイタリア、なぜか似合うと思うのは、わたしだけだろうか。

翼の消える日

10月 3rd, 2010

2010年9月30日、一年ぶりのイタリアに出発することになった。いつもながらこの旅も、相変わらずハードな予感でいっぱいだ。
ただ、この出発日には、ある特別な想いがある。会社更生の途を歩み始めた日本航空が、おそらくは断腸の思いであったろう(と、思いたい)、イタリア・ローマへの直行便の廃止が決まってのラストフライトの日なのだ。10年にも及ぶわたしのこの便の利用もこれが最後となるわけだ。
陸上スタッフ総出の見送りをうけてのフライトは、滑走路上のアクシデントで、約1時間遅れでの出発となり到着にも遅れは出たが、ローマまでの空の旅は、順風満帆だった。機内のクルーの立ち居振る舞いも、わたしの経験した中でもいちばんと言えるものだった。
ラストフライトをともにした乗客の数は177名。空の上で機長からこんな主旨のメッセージがあった。「険しい道のりではあっても、日本航空は会社の更生という途を歩み始めました。失った信頼を取り戻すために、社員、スタッフ一丸となって邁進していく決意です。どうか引き続き、みなさまのご支援をお願いしたい」。この言葉に、思わず目頭が熱くなった。
機長にこう言わしめた経営の責任の重さと、変わらず、ひたすらその責務を果たそうとする、陰の力を感じずにいられなかった。
このフライトで、イタリアの空から”JAL”の翼が消える。いつの日か、ふたたび一回り大きくなった翼が永遠の都に羽ばたくことを祈りつつ。